義父スピリットさんからの学び
前回のブログでは、元旦に他界致しました夫の父の事を書かせて頂きましたが。
義父スピリットさんは、時折気を遣って我が家へも訪れます。
とても穏やかで落ち着いていらして、なりたてのスピリットさんぽくないのですが。
ミディアムシップを行います中で、天国に上がられて日の浅いスピリットさん、
また、スピリットさんデビューされたばかりの新米さんは特にご生前の有り方、
生き様が顕著に現れます。
ご生前の考え方
ご生前、死後の世界ですとか、スピリチュアルな事や考え方、信仰の有無などが
ご他界後のスピリットさんの霊界での馴染み具合ですとか、
死後の世界への理解といったところで、違いがあることをよく感じています。
“目に見えないものは信じない!”というタイプの方がおられますが。
そのタイプの方は、初めは戸惑われていらっしゃる方が少なくないと思います。
ここで自身の父親のケースです
私の父はコロナ禍で、葬儀もソーシャルディスタンスを保った形で営まれました。
父は霊的なこと、信仰等とは全く無縁な人でしたし、理解しようともしておらず、
父親は私のヒーリングは受けていたものの、内心否定的だったのも分かっていました。
療養型病院でコロナの為に面会謝絶となり、家族も一切会えないまま他界しました。
通夜に向かう車の中で、ラップ音とエネルギーを感じてますと、
「おっ、来てくれるんか!」と嬉しそうに話し掛けて来ました。
運転しながら、少し会話していると去って行きました。
通夜では、先に亡くなられた父の仲の良い姉がずっと寄り添ってくれていました。
父は終始、会場内を歩きながらブツブツブツブツ言っておりました。
葬儀を公開しませんでしたので、参列される方は多くは御座いませんでした。
そのブツブツは、そういった事への不満、「受付の段取りが良くない」だの、
「○○さんが来てくれたから、挨拶に行け。」だの、細かい指示迄・・・。
弔問にいらして下さる方をチェックしてもいました。
スピリットになっても、物凄く現実的なんだ~って、“あんぐり”・・・。
自覚無し
父親は、肉体がないことをまだ完全に把握出来ていないように感じました。
告別式の日も同様に伯母と歩き回っておりました。
伯母は、弟に寄り添いながら何かを諭すようにしてくれていたようでしたが。
父は聞く耳を持たない状態だったのですが、伯母は優しく側に居て下さいました。
父親がどうもご機嫌斜めだったのは、コロナ禍故に葬儀時の“通夜振る舞い”、
“精進落とし”が行えなかった為にその点が最も不服だったのでした。
宴席、お酒の好きな人であったのですが、それが納得行かないとの事でした。
コロナウィルス蔓延で事情が事情だけに、無理だと説明するも・・・。
やはり自覚が無い
それから、四十九の法要の際には、だいぶ落ち着いたかのように見えました。
伯母はおらず、一人で法要に来て、読経中のお坊さんの隣にちょんと正座してました。
私はその姿に、大人しくしているし随分変わったのかしら!?と思いましたが。
いざ納骨となりました。読経を終え、骨壺をお坊さんが納めようとした瞬間、
「おっ、置いて行くのか!!」っとすごくすご~く慌てふためいた声がぁ。
「あれ、骨でしょ。これからまた車で一緒に家に帰るでしょ!」と、私。
やっぱり、自覚出来切れていませんでした(^^;)。
霊界での日が経つにつれ
人は亡くなられてもご生前の性格は基本変わりませんが。
霊的な成長や変化は起こります。
スピリットさんご自身に対して、ご遺族様への見方考え方は変わっても行きます。
霊界での学ぶ為の場が有るとスピリットさんから聞きますが。
生前に『死後、人はどうなるのか。』ということの知識、知恵が有るか無いかでは
スピリットさんとなった時に違ってくるとはよく言われている事です。
この点の違いは、スピリットコミュニケーション中にもよく見られます。
ところで、日本は宗教的な影響はそんなには有りませんが。
死後の世界の考え方は、宗教や国によって違って来ます。
そう考えますと・・・・・・・。